一言モノモーション

人の命を「障害」という「言葉」として見ようとしないで

「障害」という「言葉」として人を見ないで私自身と出会って

by 名もなき いのち

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名もなき いのち

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ピニオン紹介

メインモノモーション

高校でいじめられて、ボロボロな状態に、私のいのちはどんどんどんどんだんだんだんだん…。精神障害者手帳を申請する時に親が市役所で話していた、 「どうしてこうなるまで(ここまでなるまで)…。」「このままではいのちが危ない」と病院から言われたというそういう状態に、いっきにではなく、だんだんだんだん…。

「あなたがそれを自分の言葉で言うなんて…。」「それを中学の先生が私に言ってくれれば…。」と私のいのちのことをある高校の先生は言っていましたが、中学の先生は誰も私のことを、「あなたがそれを自分の言葉で言うなんて…。」とかそういうふうには見ていないと思うし、中学時代も見ていなかったと思うのです。

ただ、中学までの「普通の状態」と違って、円形脱毛ができたのも初めてだし、眉毛も全部ない状態だったわけだし、体重も8キロくらいほんの数年で瘦せていたわけだから、(もちろん目に見えるものだけではないけれど)目に見えるところだけでもすぐにその「普通じゃない状態」がわかった人はいて、しかも久しぶりに会った人とかに私は無理して笑っていたりしてそういうふうにしかできなくて、そういうボロボロな傷ついた状態の私のいのちに純粋に胸を痛めてくれたり、自然ないのちの反応として何も言えなくなったり何を言わずただじっと見つめ悲しんだり、そういうふうになってくれた人もいて、それは私がボロボロに傷ついた状態に、そういうふうになったということ、そのいのちを見て「それ」に対する反応であり、私のことをもともと「あなたがそれを自分の言葉で言うなんて…。」とかそんなふうに思っていたり見ていたりしたなんてのはあり得ないと思うのです。

友人にしろ恩師にしろ別に誰も中学時代も私のことをそういうふうには見ていなかったと思うのです。実際、友人の一人も、いじめとかもさ、羨ましいっていうのがあるんじゃないの?というふうに言ってくれたり、引きずってしまうのも仕方ないよというふうにも言ってくれたり…。他の友人にしても、「ちょっと話で聞いて心配で…。」とか「なんかあった?」とか自分が中学までの「普通の状態」ではない・そういうふうになっていった・なっているというそのこと、そのいのちに対してそういう反応になってくれたというだけで、自分のことをもともとどうとか、そういうのはないと思うのです。
私のいのちがそういうふうに、そこまで(そこまでの状態に)なっていったことで、精神科などにお世話になるようになり、私は色々調べてもらって、対人面が苦手・こだわりが強いなどの特徴を持つ発達障害の特性を持っていることがわかり、そのことを言ったので、だからそういうふうにおっしゃったのでしょうが、発達障害があろうとなかろうと、生まれてからずっと私はこの私だし、このいのちだし、そういうふうに自分のことを言われるということは、自分に置き換えてみたらわかると思いますが、私でなくても誰でも嫌だと思います。

どうしてそういうふうにおっしゃるのかというと、それはやっぱり、人の命を「障害」という「言葉」として見ようとしているからなのではないかと思います。

私は今発達障害などに理解のある環境にいますが、例えば私の好きなアニメなど私自身に興味を持ってくれている人やそういう場合と、単に「障害」という「言葉」として人を見ようとしているというのは全然違うので、それは自分自身の命の感覚がわかります。

今自分は自分の好きな「書くこと」をお金につなげられるというとてもありがたい環境にいますが、それだって、発達障害の特性を持っている人ならみんなそう、とかではなく、「私」という人間は書くことが好きだし、普段からそういうことを言っていたり書く活動をしていたりもして、そういう自分を知っていて、○○ちゃんにぴったりなところがあるよというふうに教えてくれたスタッフさんがいて、別の事業所から今いる所に移ってきました。

そういうふうに自分自身に興味を持ってくれるのは嬉しいなぁと思います。福祉の世界はもちろん、福祉に関わっている人だけではなく、他の仕事にも共通して言えることかもしれませんが、私もそういうところあるのよねとか、私はそういう感覚には共感できないなとか、自分が乗っかってきてくれる人はこっちも嬉しいし、精神医療にしてもそういう人の方が話しやすい(相談しやすい)と思うし信頼できると思います。
最後になりましたが、日本の福祉や精神医療などそういう世界にそういう人がもっともっと増えていったら日本はもっと良くなるのでは、と、(かなり個人的な意見ではありますが、私自身の希望を込めて、)そう思います。

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