一言モノモーション
インターネット上で頻繁に批判されているマスメディア。
多くの批判が偏向報道や情報操作に向けられているものです。
それでは、どうしてメディアはそのような悪行に手を染めてしまうのかでしょうか?
思想軸・社会分断の観点から考えてみたいと思います。
メインモノモーション
古くから、メディアは多くのニュースや情報を庶民に伝えてきた。
江戸時代には、火災や地震などといった庶民の関心ごとを報じた瓦版が普及し、明治期になると日刊新聞や雑誌が多く出版された。大正時代になると、ラジオ放送が始まって、文字や写真のみでなく音声を媒介して情報が伝えられるようになった。
そして昭和期から平成期にいたるまで、音声と動画を介してより明確に情報を伝えるテレビ放送が大衆の関心をつかんできた。一方で、文字と画像情報のみの新聞業界は成長に陰りを見せている。
現代では、インターネット上のメディアやSNSが、特に若者を中心として、大衆の情報源となってきている。インターネット上では数多くの情報が絶えず行き交っており、新聞やテレビといったオールドメディアよりも、あまり精査・検討されずに発信されているものも多く見受けられる。
新聞の発行部数(引用:日本新聞協会)

左からそれぞれ、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍、インターネット、その他の割合を示す。
最も利用するメディア(引用:総務省)
それでは、ある程度精査・検討を行ったうえで情報を発信している“であろう”オールドメディアは、我々庶民にとって情報源たり得るのだろうか、私見を述べたいと思う。
庶民を代表しなくなったメディア
いわゆるオールドメディアは、世間から見たところの「エリート層」によって形成・維持されている節がある。
日本に限った話でいうと、新聞社の大学別採用数では、東大京大早慶旧帝大といった、日本の学歴のトップ層が数多く採用されており、やはり日本社会における「エリート層」が新聞社内で大きな力を持っていることが分かる。むろん、新聞社に限らずテレビ業界においてもエリート層が多くの割合を占めている。
こうした、エリート層によって支配されているメディアが、政治批判・政策批判を行って世論を形成していく。エリートの形成する世論と世間一般の庶民との考えや価値観との乖離が起きてくる。
読売新聞の内定者の大学群別割合(引用:unistyle)
エリートvs庶民
トランプ元大統領はエリートと庶民の乖離が生んだ人物といえるだろう。
エリート層と庶民の間の乖離が極端すぎるほどに進んでいたアメリカで、貿易赤字を問題視し、海外に拠点を移して産業の空洞化を招いたエリート企業に対する批判を展開し、多くの票を稼いで宗教的ともいえるほどの熱狂的な支持者も獲得した。
トランプ元大統領は、左派メディアに対する批判も積極的に行っていた。自身の主張に反対するような意見や記事を“Fake news”と切り捨て、エリートと対立する強いリーダー像を見せつけた。
Fake news!(引用:dailymotion)
2016年のアメリカ大統領選挙は、エリートと庶民の対立をはっきりと表しているだろう。ワシントンポストやニューヨークタイムズといった、数多くのメディアがトランプ氏を酷評し、クリントン氏を支持してその優勢を報じたことからも、メディアと庶民の間の考え方や価値観の違いが見て取れる。
あくまでこの事例はアメリカのものではあるが、日本においても格差の拡大やメリトクラシー(能力主義)の許容が進む中でエリートと庶民の間の溝は大きくなっていくだろう。
中立性を失ったメディア
話を日本のメディア事情に戻そう。
2021年、東北新社やフジメディアホールディングスが規定されている外資割合20%を超えていたことが相次いで判明した。日本の主要メディアに多くの海外資本が流れ込んでいることが国民の知るところとなった。ただし、あくまで議決権が20%を超えていなければ許容されるために、実質的な海外資本依存度はこれをはるかに上回るとされている。
民法テレビの外資割合(引用:twitter)
外貨だけではない。オールドメディア(特にテレビ放送)にとって、スポンサー収入は非常に大切で、娯楽番組はもちろん、公正中立を求められる報道番組にもスポンサーの意向が影響を与える。スポンサーがメディアの飼い主となる。
むろん飼い主様の力は強大で国際的にもある程度競争力を持っていたり、海外とのつながりがあることも多い。その飼い主が資本という餌によってメディアをしつけ、自分たちにとって都合がよい世論の形成を推し進めることになる。
資本主義に参画したメディアは、公正中立性が揺れ動いているという点において、自らそのメディアたる特性を失いつつある。
監視されなければいけない監視塔
こうしたように、オールドメディアには数多くの問題があるように思われる。
SNSなどをつうじて様々な情報に触れることができるようになった現代においては、偏向報道や思想的偏りを交えた情報発信を行うオールドメディアは、少しずつ信用を失いつつあるように感じる。もちろん、ソーシャルメディアなどのニューメディアは完全無欠なものだというつもりはないが。
長い歴史を持ち、資本力も併せ持ち、マスメディアは、立法・行政・司法と並んで、「第四の権力」とも呼ばれる。そんなメディアが情報の精査・検討の末に、庶民感覚と乖離しつつある報道や、スポンサーや外国に媚びを売るような偏向報道を行っている。
「権力の監視塔」であるはずのメディアを、我々が監視しなければいけないというのは笑えない皮肉である。
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