一言モノモーション

子供が小さい時は特に、世界の全てが親のように感じるかもしれません。
確かに親が子育てのメインであることは間違いありませんが、
子育ての全てを担っているわけではありません。
「社会全体で子供を育んでいく」という考えが今こそ必要な時代です。

親だけでは「足りない」子育て

by wamuka 89

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wamuka 89

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ピニオン紹介

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子供は親だけが育てるべきなのか

 

昭和の古き良き時代、という表現をメディアで見かけることがあります。

実際に昭和を舞台にした作品は多くあり、裕福な暮らしはできずとも

学校や会社、地域などのコミュニティでの繋がりを大切にし、

みんなで支え合って生きていく様子が描かれています。

 

時代は昭和から平成になり、更に平成から令和へと移り変わりました。

テクノロジーの発達と共にあらゆるものが便利になり、

ライフスタイルそのものも大きく変化しました。

 

しかし、日本を始め先進国で広がり続ける少子高齢化社会。

日本の場合は子育てに対してハードルが高いという認識が

若年層に定着したことも要因の一つだと考えられています。

 

私も今3歳の子供育てていますが、

時間的にも体力的にも経済的にも楽ではないことは確かです。

中でも個人的に一番しんどいのは精神面です。

 

子供をきちんと正しく育てなくてはいけない、

問題が起こったら自分たちだけで対処しなくてはいけない、

というか何か起こる前に未然に問題を防がなくてはいけない…

 

これを早いうちからさせなくてはいけない、

あれを食べさせすぎてはいけない…

 

言い出すとキリがないほど悩みが次々と降りかかってきます。

 

果たして本当にそれらの知識や常識は正しいのでしょうか。

その正誤判定は誰がするのでしょうか。

そして、それらの問題は全て親だけが考えるべきなのでしょうか。

 

私は「社会全体で子供を育てる」という風潮が

今の時代には必要だと考えています。

 

昭和の時と全て同じようにすればいいというわけではありません。

今の時代に合ったベストなやり方があるはずです。

 

 

店内や電車で騒ぐ子供を叱らない親

 

「最近の親は叱らない」という話を中高年の方から聞きます。

昔がどうだったのか分かりませんが、

実際スーパーなどでお菓子を買ってもらえず泣く子供を

そばで見ているだけの親を見かけることがあります。

 

一方で最近販売されている育児書には

「頭ごなしに怒るのではなく、「なぜ?」と問うて子供に考えさせることが大切」

と書かれているものが多い印象です。

しかし、実際泣いている子供に「なぜ?」と聞いても

子供は泣くのをやめませんし、すぐには考える状態にもなりません。

結果的に店内で泣き続ける子供と叱らない親という構図ができあがります。

 

私も何度か店内で泣き始めた子供を諭しているときに

横を通りがかったご年配の方に睨まれ、舌打ちされたことがあります。

きっとその方の目には私が「今時の叱ることさえできないダメ親」に見えたのでしょう。

 

その後、しばらくして落ち着いた子供は持っていたおもちゃを

自ら元の棚に戻しに行きました。

その時にはもう先ほどのご年配の方の姿はありませんでした。

 

こうした時代ごとの知識や常識の違いによって

誤解を生んでいるケースは世の中にごまんとあります。

 

機会がなければ知識をアップデートすることは難しいですが、

興味や関心をもって叱らない親はどうやって

子供を落ち着かせているのかを関心を持ってもう少し見ていれば

叱るのではなく諭す親の姿も自然と視界に入ってくるようになると思います。

 

私も自分が諭すようになってから

他の親が諭す姿に気付くようになりました。

要はアンテナを張っていなかったせいで

諭す親の姿を見ているようで見ていなかったです。

 

ここで言いたいのは、知識をアップデートしない人たちが悪い!

ということではなく、今まさに子育てをしている世代は

叱るのではなく諭すことに重きを置いた教育をしていることを

積極的に世の中に発信していくべきではないかということです。

 

伝えても通じないのではないか、反論されるのではないかと

不安を抱える気持ちも分かりますが、

一人一人が声をあげることで言いやすい空気が生まれます。

 

そして多くの人がそれに同意し、世の中に浸透していくことで

そのまま新しい常識として定着します。

 

子育てと同じで長い目で見ることと、

辛抱強く続けることで少しずつ変わっていくものだと信じています。

 

 

「知らない人には声をかけない」のメリットとデメリット

 

 

私たちの家の近所の人はほとんどが高齢者の方ばかりなので

うちの子供を見ると皆さん、自分の孫のように接してくれます。

 

「おはよう」「こんにちは」と言った挨拶から

「大きくなったね」「今からどこいくの?」といったちょっとした世間話まで

通りがかるたびに声をかけてくれるので、

多くのご近所さんと顔見知りになりました。

 

そのおかげで子供が大通りに出ようとする時も

「今車来てないから大丈夫だよ」と教えてくれるなど、

子育てをする上で地域の繋がりが大きな安心要素になっています。

 

一方で世の中には「知らない人には声をかけない」

「声をかけられても返事をしない」といった教育方針があります。

防犯対策の一環であり、これによって未然に防げているトラブルがあるからこそ、

この認識が世の中に広まっていったように思います。

 

その反面、ご近所さんの顔も名前も知らないと言う方も増えました。

わずらわしい人間関係がなくなるので気楽だという意見もあります。

私自身、そこまで社交的な人間ではないので共感できる部分も正直あります。

 

しかし、子育てとなると話は別です。

 

そもそも人格は人間関係によって形成されていくので、

わずらわしい人間関係から解放されたいというのは

子育てをする上で矛盾していると言えます。

子育てをするということは様々な人間関係の中で育てていくということです。

 

特にご近所さんは住んでいるところが分かっているので

身元が知れない怪しい人でも何でもありません。

「知らない人」と定義づけするのはあまりにも乱暴な見方です。

 

今の私たちで言えば防犯の観点から言っても、もし私の子供が一人で

外を出歩いていたら必ずご近所さんが声をかけてくれると思いますので

地域の繋がりはむしろメリットの方が多いように感じます。

 

子供は今ではすっかりおばあちゃんっ子、おじいちゃんっ子です。

ご近所さんとの触れ合いの中で人間性は育つという一例になるのではないでしょうか。

歩み寄る姿勢が子育てしやすい未来に繋がる

 

人を育てる方法は世代や国などの文化によっても異なります。

それらの違い、多様な価値観を受け入れる状態を作ってあげることが

これからの世の中を生きていく子供たちには欠かせないと考えています。

 

そのためには世代間による教育方針の違い、

地域社会の大切さを理解するためには

反対意見の人に耳を傾け、

歩み寄ろうとする姿勢が大切です。

 

結果的にそれが知識や常識をアップデートする機会になったり、

ご近所さんとお付き合いするきっかけになることが

子育てしやすい空気に繋がっていくと思います。

 

親だけが子育てをするのではなく、ご近所さんはもちろん

名前も顔も知らない他人であったとしても

子供を共に見守り、助け合おうという社会風潮ができあがれば

未来はきっと明るくなるのではないでしょうか。

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