一言モノモーション

日本では年齢と学年をセットで考えるのが当たり前となっている。この考え方に疑問をもち、学年に縛られ優れた能力を活かしきれていない人達を、どのように減らしていくかを考えていくべきではないだろうか。

能力の持ち腐れをどう減らしていくか

by kira kiki

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kira kiki

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年齢で学年が決まることへの疑問

年齢と学力は比例しているのだろうか。もちろんそんなはずはない。例えしていたのなら、同じ年齢の人は全員同じ学力になるはずだ。ではなぜ、同じ年齢の人はみな、学力の違いに関係なく同じ学年なのだろうか。 6歳だから小学校1年生、12歳だから中学校1年生、15歳だから高校1年生。私は、このように年齢と学年をセットで考えるのが当たり前になっていることに、疑問を抱いている。同じ年齢の人同士で学力や能力を比較することに意味はあるのだろうか。比較して上位であったところで、自己満足や他者からの称賛を得るだけで終わってしまえば、それはあまり意味のないものとなってしまうだろう。年齢に応じた学年の枠に閉じ込められていたら、能力の高い人が、その能力をさらに大きく伸ばしたり、その能力を活かしていく可能性を狭めてしまうのではないか。このことから私は、年齢ごとに学年を区分するのではなく、それぞれの能力や発達段階に合わせて相応の学習を受けるべきだと考える。

飛び級制度の現状

この私の考えを可能にしている制度が、飛び級制度だ。この制度は、優れた才能を持つ者が、年齢に関係なく上の学年や上の学校へ移れるというものだ。実際に、アメリカや中国などの多くの先進国では、この制度が積極的に運用されている。対して、日本ではどうなのだろうか。 実は、日本でもこの制度は取り入れられており、実際に飛び級を実現した日本人は存在する。しかし、日本における飛び級制度は、高校に2年間在籍しなければならないため、17歳までは通常の教育課程を通る必要がある。また、飛び級制度が認められている大学は、国内に7つしかなく、制度自体の知名度も高くないため、現状では存在していないことと大差はない。やはり日本は他の先進国に比べ、年齢主義的な考え方がかなり強いのだろう。

日本の慣習に即した形の追求

私は、日本における年齢主義(ここでは、年齢に応じて学年があがり、年齢と学年をセットで考えるのが当たり前となっていることとしている)自体に疑問を抱いているが、日本で無理にその考えを排除して欲しいというわけではない。年齢主義が当たり前となっている日本で、アメリカや中国のような方式を取り入れようとすれば大きな混乱を招くだろう。また、学力は飛び抜けて優秀でも、精神面が歳相応であれば、周りとのコミュニケーションにおいての問題も発生するだろう。このこと以外にも、日本で飛び級制度を推進させようとした時に発生する問題が多く存在することは確かだ。 「無理に」、「一気に」、「他の国と同じように」、ではなくて良いと思う。しかし、年齢に関係なく、能力を持った人達がその能力を無駄にしないために、そしてできる限りその能力を活かすことができる環境を作るために、日本の慣習に即した形で飛び級制度を適用していくべきなのではないだろうか。日本ではだれもが当たり前だと思っている年齢主義について、少しでも疑問を持ち、飛び級制度について前向きな考えを持つ人が増えていけば、能力の持ち腐れは減っていくだろう。

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