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ここでは「水戸黄門」の話から考えてみます。
世の中の人が全員水戸黄門だったら、選挙なんて行く必要ありませんが、
毎週毎週悪代官と越後屋が出て来るでしょ?
一番簡単に言うと、選挙は
「悪代官と越後屋を野放しにしないため」に、国民が「出来る事」です。
悪代官と越後屋ほどあからさまではありませんが、以下の事例でお話しします。
今回のコロナ禍で悲鳴を上げておられる事業主さんの支援のための事業があります。
ところが、このページの下の方に、以下のようなリンクがあります。
全部合わせて少なくとも380億円の事業規模ですが、
「なぜこんな事業に競争入札が行われないんだろう?」
と考えてみてください。
しかし「おかしい!」と思っても、
何か打てる手はありますか?
一般国民が「おかしい!」と思った事に対して、国会で「おかしい!」と声を上げてくれる人を
「選挙で選ばないと」
いつまでもこんな事が続いていきます。
以下は、日本と主要国の
「国民負担率」の比較の表です。
赤字国債の発行残高まで含めた潜在的な国民負担率では、
日本は福祉国家で知られるスウェーデンと同レベルです。
でも、日本がスウェーデン並みの福祉国家かと聞かれたら
日本は中福祉中負担であって、福祉国家じゃないでしょ?
じゃあ
「一体誰が?」
「これだけの国民負担率なのに」
「国民がその負担の対価を受け取れない」
「制度設計をしている」
のか?
と突き詰めて考えると
「選挙で選ばれた政治家」
の責任でしょ?
多くの主要国で同様の仕組みが採用されているのですが、
ここではアメリカの政治に対する監視の一環を参考にしてみましょう。
上のリンクにあるように、アメリカでは「政治とお金」が完全に国民の監視下に置かれています。
また、日本より国民負担率が低いアメリカから、日本並みの国民負担率であるスウェーデンに至るまで
国民が「こんな政治を求める」と言う要求が非常に大きな要素を占めていて、
その国民からの要求に対して政治家が応えているかどうかを監視する仕組みが構築されています。
ハイここ試験に出ます。
アメリカからスウェーデンまでどこの国も、このような仕組みは
「ある日突然天から降ってきた」
訳ではありません。
どの国も、その国なりに試行錯誤を繰り返して
「国民のための政治の実現」
のために権力と戦い続けている結果として、今のような社会が作られているのです。
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