一言モノモーション

生きづらさを抱える人に対してどう考え接していけばいいのか、自分なりの私見を綴りました。

「普通」と違うことを受け入れる人が増えたなら、世界は少しだけ救われる

by シバタ ケイスケ

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シバタ ケイスケ

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ピニオン紹介

メインモノモーション

高校のクラスメイトに、少し変わった男がいた。

彼は中村という名前だった。

私の高校は進学校だったが、中村はなぜ入学できたのか不思議なほど頭が悪かった。

そしていつも雰囲気は暗く、クラスのほとんどの人間に対して自己開示をしなかった。

にもかかわらず自分の好きな分野の話が出ると身を乗り出し、普段の3倍ほどの声量で熱弁しては周囲を冷めさせた。

だから彼は、クラス中で嫌われていた。

私が記憶する限り彼が笑う姿を見たのは数えるほどしかなく、それは決まって数少ない友達2人とアニメ談義をしている時だった。

中村は決してクラスで上手くやっているわけではなかったが、それでも大きなトラブルはなく毎日を過ごしていたように見えた。

しかし高校2年の夏休み前のある日、事件は起きた。

昼休み中、一人でライトノベルを読んでいた中村に同じクラスの4人組がちょっかいをかけにきた。

4人はクラスの中心にいるタイプではなかったが、中村のような言い返さない人間を見つけては陰湿な嫌がらせをする、典型的な頭の良いいじめっ子達だった。

4人のうちリーダー格の池田は、特に中村を嫌悪していた。そしてその日は何かあったのか、虫の居所が悪いらしかった。

池田がつかつかと中村に歩み寄り、読んでいた本を奪い取る。

「お前みたいなバカが読める本なんてないだろ。カッコつけてんじゃねえよ。」

中村が池田を睨む。

「返して。」

「うわ、こいつライトノベル読んでるわ、キモ。さすがアニオタ。」

もう1人が本の挿絵を見て笑う。嘲笑は、4人からクラスにいた他の生徒まで広がった。

中村が俯く。彼の一瞬怯んだ目を、池田は見逃さなかった。

「おい、こういう気持ち悪いもんは教室で読むな。俺達の気分が害されるだろ。」

池田はフッと鼻息を出し歯を食いしばると、思いっきり本を引きちぎった。

クスクス笑っていたクラスメイトも流石に黙ったが、池田はおかまいなしに話を続ける。

「これはお前のための矯正だから。このことを親か先生に言ったら殺すからな。」

縦に真っ二つに避けた本を中村の机に放り、4人は談笑しながら教室を出ていった。

クラスは静けさに包まれた。が、10秒もすると何事もなかったかのように各々が雑談や食事を再開した。

この空間には、中村のことが嫌いか関心のない者しかいなかった。

それから数分経っただろうか。俯いていた中村が、突然叫び出した。

「アーーーーーアーーーーアアアアア」

皆が中村の方を凝視する。

彼は叫びながら走り、黒板横に3つあるプラスチック製のゴミ箱の間に飛び込んでうずくまった。

ゴミ箱に隠れるように体育座りしている彼を見て、クラスメイトはあっけにとられた。

5分ほどして池田達4人が教室に戻ってきた。

彼らはうずくまっている中村を見て爆笑していたが、このまま授業が始まると面倒だと思ったのか、彼に席に戻るよう促し始めた。しかし何度話しかけても中村は顔を上げない。苛立った池田はゴミ箱を中村の顔に向けて思い切り蹴り、席へ戻っていった。

昼休み明け、授業が始まると数学教師はクラスメイトと同じような反応でうずくまる中村を見ていた。

そして驚いたことに、数回声をかけて反応がないのを確かめると、彼を無視して授業を始めた。

授業が終わると、中村は同じ体勢で居続けることに疲れたのか自分の席へ戻っていった。

結局その日、彼は自分の身に起きた出来事を誰にも打ち明けなかった。

 

その日から始まった4人組の中村いじめは、翌年の終業式まで続いた。

その間も中村は叫ぶかうずくまる以外のリアクションを取らず、いつしかそれはクラスの日常風景の一部となっていた。

いじめは幸いにも、翌年度のクラス分けによって終わりを迎えた。

4人組とは異なる成績不良者クラスに入れられた中村は、思いがけず平穏な日々を取り戻したようだった。

そしてそれから現在まで、彼に関して目立った話は聞いたことがない。

特に関わりのなかった私は、数年すると彼の存在を頭から消去してしまっていた。

 

つい最近、私はいじめを扱ったあるドキュメンタリーを見た。

主役となる18歳の少年は、中学に入ってからずっといじめを受けていた。やがて自宅に引きこもるようになり、17歳で発達障害と診断された。

少年は人生に絶望していた。長年かけて傷つけられた自尊心は簡単には癒えず、未来に希望を見出せない人生に疲れ果てているようだった。

私は少年の姿を見て、突然中村のことを思い出した。

ドキュメンタリーの少年は中村に似ていた。好きなことの話はとめどなく捲し立てるのに、自分のパーソナリティについて聞かれたら途端に鬱ぎ込む。少年の親は、過去に突然叫び出すこともあったと言っていた。

私は、もしかしたら中村は発達障害だったのではないかと思った。何を考えているかわからない中村だったが、おそらく少年と同じように、クラスという空間は地獄でしかなかったのだろう。

私は傍観者だった。当時4人のいじめを見ているだけで止めもせず、かといって一緒に嘲笑することもなく、ただ黙って見ていた。

そういう意味で、私は悪だった。

もし彼が発達障害だったとして、当時本人がそれに気づいていたらどうしていたのだろうか。

きっと結果は変わっていなかった気がする。障害はあくまで枠組みで、あろうがなかろうが人を貶めたい奴は誰であろうと貶める。

だが私はドキュメンタリーの少年を見て、中村が自分でコントロールできない部分で卑下され、苦痛を感じていたことは痛感できた。

 

近年、企業を中心に発達障害者に対するケアが浸透しつつあるとどこかで聞いた。一般社会で彼らに合ったルールも徐々に増えてきたらしい。

だが本質的に重要なのは、健常と障害を分けて形だけ寄り添うことではないのかもしれない。

世の中には、様々な人がいる。会話が苦手な人、すぐ感情的になる人、人と違うこだわりを持っている人。

大切なのは、自分とは違う「少し変わった」人を1度受け止め、わからないなりに理解することなのだと思う。そして孤立している人達に対して、自分は味方だと大げさに主張せずとも、ほんの少し雑談するだけでもいい。それだけで当事者は、世界は敵ばかりではないと思えるかもしれない。

普通でないことに対して1人1人が今より少しだけ寛大になれたなら、この国の持つ排他的な空気は確実に変わっていくだろう。そうなれば、今日も生きづらさを抱えている誰かを救ってあげられるかもしれない。

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