一言モノモーション
日本がIT/ICT教育を充実させる目的は、ドラえもんに描かれているような22世紀を作り上げるためであるはずです。であれば、教育関係者だけでなく、私たち一人一人がその未来をイメージして共有することが大切です。
メインモノモーション
問題は教育システム・教育制度ではない
IT/ICTに限らず、教育・学習で大切なのは将来の日本社会がどうなっているかのイメージを共有することではないでしょうか?
何事においても大切なのは、ゴールイメージとゴール達成という目的意識をもって取り組むことと言われます。そうしないと、意欲も湧きませんし、途中で挫折してしまうこともあるからです。
本モノモーションでいうゴールイメージは、個人個人が持つイメージというより、社会全体、つまり日本という国がどうあるべきか、というところまで落とし込むことを意味しています。皆でそのゴールに向かって楽しんで描いた未来へ向かうイメージです。
日本においては、文部科学省より教育情報化やGIGAスクールの構想を掲げられていて、海外のIT/ICT教育と比較しても決して遅れているというわけではない、意外と十分な環境は整っているという現状があります。
未来のイメージを持とうと、強くモーションとして申し上げますのも、十分に環境が整っている今だからこそ、何かもう一つ足りないところがあるのでは、と思うからです。
日本の教育は変わらないのか?
日本の教育制度は十分、という話をすると、集団教育制度が最もよくないシステムである、という意見が出されます。古くから日本は寺子屋制度のように、個別の学習能力に合わせた教育制度を取り入れており、その結果、明治初期に列強各国に対等で戦える国家を形成できた、という例も集団教育制度を反対する意見としてよく出されます。
逆に、スーパーのレジでのおつりの計算を、ほぼ全ての国民ができるという国は日本しかない、という例や、先の寺子屋制度のおかげで当時の日本は世界有数の識字率を誇る国であった、という例もよく出されるかと思います。集団教育制度がもたらしてくれた恩恵は私たちが感じている以上に世界から見たら特異的な国民性なのかも知れません。
文科省が掲げるGIGAスクール構想においても、すでに小学校には一人一台端末が支給されて、プログラミング教育の必修化など、海外の教育制度に比べても遅れているわけではありませんし、変える必要すらないと言えます。
日本は、仏教伝来や種子島の鉄砲などのように、古来から海外のシステムを取り入れて、それに改良を加えるという面に優れており、それをひたすらこなすという国民性は変えられない、変える必要はないのです。
日本を、世界を変えてこそ教育
では、何を変える必要があるのでしょうか?
零型戦闘機や携帯電話のように、輸入したシステムに改良を加えて行きついた先、残念な結果に終わった例もたくさんあります。しかし、それでも日本はガラパゴス化を生み出して進むしかないのです。それは、IT/ICT・教育という面においても同様です。
ガラパゴス化していく過程で重要なのは、豊かな社会をイメージして取り組むという姿勢です。我々には鉄腕アトムやドラえもんといった、独創的な近未来を想像する能力は、小さいころから漫画を通じて世界のどの国の人よりも養ってきてます。どんな未来が待っているのか、誰かが叫んでくれるのを待つのではなく、一人一人が叫んでいく時代なのではないでしょうか?
「日本は資源に乏しいため、海外から原材料を輸入し、それを加工して製品を輸出する国である」
昔(今も?)、社会科で習った内容ですが、このフレーズは誰でも知っている日本のゴールイメージではないでしょうか?このイメージが、明治維新以降、今日まで日本の教育のベースになっていて、ある意味、この国の社会や産業を作っているとさえ言えるかと思います。
同じように、これからのIT/ICT社会における未来の日本のイメージにぴったりなフレーズを皆で作り出せたら何て素晴らしいことかと思うのです。
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